ル・コルビジェとは
ル・コルビジェとは
画家から出発し、建築家として活動をはじめた後も画家としての制作活動を続けていた。
歴史上の功績は、鉄筋コンクリートを利用し、装飾のない平滑な壁面処理、伝統から切り離された合理性を信条としたモダニズム建築の提唱者ということになる。ル・コルビュジエの思想は世界中に浸透したが、1920年代の近代主義建築の成立過程において建設技術の進歩にも支えられて、とくに造形上に果たした功績が大きい。彼の造形手法はモダニズムの一つの規範ともなり、世界に広がって1960年代に一つのピークを極めた(その反動から1980年代には装飾過多、伝統回帰的なポストモダン建築も主張された)。
西洋では組積造(石積み・レンガ積み)による建築が伝統的だったが、ル・コルビュジエはスラブ、柱、階段のみが建築の主要要素だとするドミノシステムを考案した[15]。その後の代表作『サヴォア邸』は、ル・コルビュジエの主張する「新しい建築の5つの要点(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由なファサード)」(近代建築の五原則)を体現している。クック邸が5つの要点を体現した最初の作品であり、サヴォア邸でより完成度の高い実例を示した。
都市計画の分野でもパリ改造計画案を発表したほか、CIAM 第4回会議でル・コルビュジエらが提案したアテネ憲章(1933年)は、公開空地など、以後の都市計画理論に多大な影響を与えた。後にはチャンディーガルなどで実践している。晩年のロンシャンの礼拝堂(ノートルダム・デュ・オー礼拝堂)は造形を特に強調し、それまで主張していたモダニズム建築を超えた作品として注目される。
生前ル・コルビュジエが構想し設立を認めさせていた彼の仕事の保管・管理機構は、ル・コルビュジエ財団として死後の1968年に設立され、彼の作品のひとつであるパリのジャンヌレ邸(ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸の片方)に本拠を置いて彼の作品の管理や保護を行っている。
アジール・フロッタンとは
1929年12月にリノベーションが完了したル・コルビュジエ設計の難民避難船「アジール・フロッタン」は、救世軍の依頼により第一次世界大戦の影響でパリ市内に多くいた戦争難民を収容するために生み出されました。その後、世界恐慌や第二時世界大戦による難民を多く受け入れ、子供たちの夏のイベントなどにも活用されてきましたが、1990年ごろにはその使命を終えていました。
2006年には救世軍から船を譲り受けた有志により、後世に残すための修復が始まり、2008年には、修復に協力していた日本人建築家遠藤秀平により修復工事のためのシェルターがデザインされ、フェスティバルドートンヌにおいて発表されました。その後は、経済不況もあり近年まで細々と修復工事が進められ、2015年に歴史的コンクリート構造物として文化財指定を受けました。2017年には内部の整理も進み、日本人建築展を行う企画が進められてきましたが、2018年2月のセーヌ川増水により水面下に消えてしまいました。
アジール・フロッタンを復活させるため多方面にわたる各関係機関と協議を行い、2020年10月19日にようやく浮上させることができました。途上、協議の難航に加え黄色いベスト運動やコロナウイルス蔓延の影響などがあり、2年10ヶ月を要してしまいました。
今後は船体の調査を行い、それに基づきコンクリートなどの補修を行います。この調査はフランス文化局に登録されている文化財建築家により行われます。そして補修工事が終了した後、コルビュジエのオリジナルデザインに復元する工事を行う予定です。
これらの工事が無事完了したのち、コルビュジエが完成予想パースに描いていた通り、セーヌ川の岸から10mほど離れた位置に移動、日本のアロイ社から寄贈された桟橋(現在はパリ近郊で保管)を設置し、公開スタートとなります。
※アジール・フロッタン復活プロジェクトのホームページから抜粋 https://www.asileflottant.net/